映画館 字幕 ☆☆☆☆☆
2003年、ケニア政府が全国民の小学校無料化の政策を発表する。
親たちが学校に殺到する中、83歳のキマニ・マルゲも字を習いたいとやってくる。無論、学校はそれを拒否する。大人ならば別の学校へ行けと言う教師に、マルゲは手紙を読むために字を習いたいと懇願する。
ノートと鉛筆が必要だと言われれば用意し、制服がないだろうと言われれば家畜を売って古着を入手、それを制服にしてしまう。
熱心さに、校長のジェーンはマルゲの入学を独断で許可。
しかし子供たちの親は、我が子と老人が机を並べることを嫌がり、予算の関係から、上層部もマルゲの入学を拒否しようとする。
実はマルゲはマウマウ団の戦士で……。
いい映画である。しかも上手い。
以下ネタバレにもなるが、
この映画を見る上である程度知っておいたほうがよいことも書いておく。ちなみに実話を元にした話である。
多くの民族が住むケニアは、イギリスの植民地であった。
イギリスは彼らの土地を奪い、勝手に登記し、彼らを追い出した。
登記という観念のない彼らにはわけが分からず、長く白人の支配下にあったが、1942年、いくつかの民族が集まって自由を求めて戦いを始めた。これがマウマウ団だ。
中でもマルゲの所属するキクユ族は多く土地を奪われた。
一方、カレンジン族のようにそれほど影響の受けない民族もあり、彼らは白人に味方し、同じ国のいわば親戚同士で戦うこととなった。
やがてケニアは独立を果たすが、奪われた土地は安く払い下げられ、マウマウ団のようにゲリラ戦を行っていた人々の手には戻らなかった。つまり、本来の持ち主は貧乏のままだった。
マルゲは長くマウマウ団として戦ってきた。
回想として、しょっちゅう彼の拷問シーンや妻や子のショットが挟まれる。これが実に上手い。
ちょっと間違えればうざったいほどの量だが、適度な緊張感を保っている。一番ぞっとしたのは鉛筆のシーンだが、出来ればこれは見てもらいたい。
更に途中途中、ラジオのDJが最近の出来事を話す。「80過ぎたじいさんが小学生だってよ!」といった具合で、必ず「
unbelievable!」と叫ぶ。ボキャブラリーのない人だが、なんか和むし、そこで息をつける。
一番笑ったのは、ナイロビに向かったマルゲが、金がないのでヤギを「運賃代わりだ」「ええっ!? どうしろってんだよ!?」「繁殖させろ」のシーンで、観客がどっと声を立てた。
一本の映画として見た時、この作品は非常にバランスよく作られている、と思う。ストーリー自体は単純だし想像もつくが、その辺で飽きさせない。いや上手いわ、本当に。
国として金がないのは確かだろうが、「じいさんはよそへ行け」なんてのは、今の日本にも通じる態度で、「お前誰のおかげでそうしていられるんだ!?」と言いたくなる。
ケニアの二代目の大統領はカレンジン族で、この人はマウマウ団の果たした役割を「なかったこと」にして、実際成功したらしい。彼らには感謝の気持ちがまるで見えない。日本の戦後教育にも通じる話だが、本当に教育がどんだけ大事かと思ってしまう。
校長のジェーンにしても、最初に入学を許可したのは、マウマウ団だからとか、感謝といった気持ちからではあるまい。ただ彼女には、学ぶ熱意のある者に門戸を開くべきという、確固たる信念があった。
マルゲはそれによく応えた。
てっきりクライマックスはマルゲの国連演説かと思ったのだが、左遷されたジェーンが戻ってきて、マルゲがやっぱり読めないからという理由で、手紙を読んでもらうシーンだ。
これがまた凄い。
それは、マウマウ団として戦ってきたマルゲへ、政府が謝意を示した内容だ。多分これがあれば、マルゲは賠償金を受け取っていたはずなのだ。だが彼はそれをしなかった。作中、何度も「賠償金を受け取っているはずだ」や「新聞社から金を貰っているだろう」というセリフがあるが、見りゃ分かるだろとその度にツッコミを入れそうになった。どう見ても、マルゲには金がない。
その認識の違いは、こういうわけだったのだ。
マルゲはただ、その感謝の言葉を自分で読みたかった。自分で確認したかった。
しかしその手紙は、机の上に置かれてしまう。――ええっ!? と思ったが、これは多分、もはや何の役にも立たないのだろう。おそらく二代目の大統領の辺りで、紙くずと化したに違いない。その紙くずのために、彼は学校に通ったのだ。
ちなみに国連演説については、DJがラストに語っている。またもや「
unbelievable!」と叫んで。そして「Yes,we can!」とも。……頑張れオバマ大統領!! あんたなら出来る! と、思わず応援。
さて。
マルゲを演じるのは、ケニアのテレビ局でキャスターを勤めていたオリヴァー・リトンド。校長のジェーンは「パイレーツ・オブ・カリビアン 2、3」でダルマを演じたナオミ・ハリス(ほとんど別人!)。
子役は、一部の中心を除き一般の子らで、彼らは本当にジェーンを先生だと信じ(それどころか、監督らスタッフも先生だと思っていたそうだ)、リトンドを同じ生徒だと信じたという。
自然なのは当たり前。
違う年齢の生徒がいて当たり前。
そういう地域なのだそうだ。
制服がなくても普通に学べる――やはり日本は幸せだということを実感した。
←気が向いたらポチッと